投稿日:2025-08-21

オレ流写真論 〜 ChatGPTと考える 写真の抽象化とは

オレ流写真論 〜 ChatGPTと考える 写真の抽象化とは

写真を撮ること、それは「目の前の物を写しとる」だけではない。
まずは、撮りたいと思ったその気持ち…「きれい」「面白い」「何か気になる」…
何に惹かれたのか、何を撮りたいのかを自分に問いかけていく。

ただ撮るだけでなく、そんな作業を頭の中や時にはメモに書き出してみると、漠然としていたイメージが整理され、新たなイメージも湧いたりします。
今回は、そんな作業をAI … LLM(ChatGPT)を使って練っていく工程の紹介。


写真から言葉へ 〜 写真を構造化・言語化する




この写真には、何が写っているだろう?
どんな光?影は?どこに目が行く?
また、写っていない何か…季節、風、音、気配…そういうものを想像してみる。

想像を広げていく中で、「他の視点も見てみたい」と思ったら、AIに聞いてみると面白い結果が返ってくることが多い。

ChatGPT(チャッピーさん)に「この写真から何が感じられるか」聞いてみた。

もっと見る…
  • ゆらぎ
  • 鏡の地面
  • 一瞬の宇宙
  • 時間の余白
  • 消えかけた輪郭
  • 現実の裏側
  • 足元の空
  • 抽象の入口
  • 混ざりあうもの
  • 空と地の反転
  • 見ることの不思議
  • しずくの世界
  • 柔らかい光
  • 光と影のダンス
  • 気配
  • 音のない風景
  • 内側の風景
  • 自然の思考
  • 透明な深さ

非常に多くのイメージを写真から読み取ってくれた。
中には自分でも気づかなかったイメージさえもある。
自分で観て感じて考えて…それでも気付けなかったイメージに、AIが発想の枠を広げてくれる。
写真から“感じる”こと。それを“言葉にする”こと。
これは、写真を読み解く訓練であると同時に、自分自身の感性に耳を澄ませる行為でもある。
「耳を澄ませる」とはちょっと曖昧な表現ですが、頭を使っているにも関わらず、「思考」とは少し違って、奥の方に隠れている「記憶を辿る」感じが、小さな音を聞こうとする感覚に近く、詩的でありつつバッチリと表現できる、いい言葉があるものだなあ…と思います。

これは自分の撮った写真でもいいし、誰かの作品でもいい。
写真じゃなくても、絵画、映画、小説、音楽…なんでもいい。

「自分がそこから何を見つけ出し、どう言葉にするか」
その抽象化→具象化の繰り返しが、とても大事だと思う。

その繰り返しが、自分の「表現(記憶のパターン)の引き出し」を増やしていく。

言葉から写真へ

逆に、言葉から広げていくこともできる。
例えば「夏」と聞いて、どれだけの情景を思い浮かべられるか。
光、音、匂い、質感、記憶…
でも、それを一人でやるのは、時に難しく、限界がある。
本当は、誰かと一緒にあれこれ話しながら膨らませていくのが理想だけれど、AIに手伝って貰えば、ひとりでもそれができる。

まずは、自分で考えてみる。
そして、「他にもある?」とAIに問いかけてみる。
すると、自分では思いつかなかった視点に出会える。
その気づきが、また次の想像を生み出す。


チャッピーさんに「夏で連想するものを箇条書きにして」と実際に聞いてみた。

🌞「夏」から連想されること(視覚・聴覚・嗅覚・体感・記憶)


もっと見る…
  • アスファルトの匂い
  • スプリンクラー
  • キラキラの水しぶき
  • 打ち水された道
  • 濃い影
  • 鉄棒の熱さ
  • 麦わら帽子
  • スイカ
  • 風鈴の音
  • 夕立の気配
  • ひぐらしの声
  • 蚊取り線香
  • 線香花火
  • 砂浜の焼ける匂い
  • 焼けた肌
  • 氷の音
  • プールの塩素のにおい
  • 夕焼けのオレンジ
  • 雲が焼ける空
  • 冷えた麦茶
  • 青い空、白い雲
  • 窓からの風
  • 扇風機の音
  • ノースリーブの腕
  • 高原の風
  • 夏休みのラジオ体操
  • カブトムシ
  • クーラーの効いた部屋と外のギャップ
  • お祭り
  • お神輿の掛け声
  • 瞬間的なノスタルジー
  • 時間のゆるみ
  • 土の匂い
  • どこかから聞こえるピアノの練習音
  • 白いカーテンが風でふわっと舞う

非常にたくさん返ってきた。中には、自分では思いもしなかった連想もある。
そして、そこから次の思考へのヒントが生まれることも多い。創造のヒントは、意外なところからやってくる。
さらに、チャッピーさんは「抽象化がどこから始まるか」についても、いくつかのヒントをくれた。

💡「抽象化はどこから始まるのか?」—チャッピーからのヒント

まず、抽象化ってね、はっきり「これだ!」って答えが見えるものじゃなくて、なんだか曖昧でぼんやりしたところから始まるんだ…
例えば…


これらのAIからのヒントは、ただ知識として読むのではなく、実際に自分が写真や言葉に向き合った時に考えたプロセスと繋がっているので理解もしやすく、新たな発想も浮かびやすい。また、気になった項目に質問して、更に深く掘ることもできる。

イメージの先にあるもの

ここまで、「写真から言語」「言語から写真」と、たくさんの連想や言葉のヒントを重ねると書いて来ましたが…それは、完成された「正解」を求めるためではないです。あくまで、イメージを広げ、「自分をその世界に連れて行くための準備運動」みたいなもの。

 一番大切なのは、「今、目の前にある世界に何を感じるか」。 それに気付くための準備運動。

光がどう当たっているか
風はどこから吹いているか
どんな匂いがして、どんな音がしているのか
そして、自分の心が何に揺れているのか…

選考したイメージに縛られすぎると、写真はどこか固くなる。また何よりも、まるで誰かの指定通りに撮っているかのようで、自分がつまらない。
想像の「答え」の中にある“理想のイメージ”を追いすぎて、本当にそこにあった豊かさに気づかないことは、とてももったいない。だから、準備運動はしても、それはもう一旦閉まって、今ここで感じたことに委ねてシャッターを切る。

「まだ足りない」「まだ写せていない」と思ったら、また撮ればいい。同じ瞬間は来ないかもしれないが、自分の中に生まれた感性は忘れない。

最後に

写真を撮るということは…
“今ここにある世界を、自分の目で見て、感じたことを形にする”ということなのかもしれない。
言葉が思っていることを伝える手段であるように、写真もまた、ひとつの「伝える」ための手段なのだと思う。うまく言葉にならない気持ちも、ただ「綺麗」という言葉で終わってしまう風景も、ふとした違和感や、ときめきや、ざわめきも…。そのすべてが、目の前にただある。

そして、それを感じ取るために、伝えるために、分解して、抽象化して、メタを取り、置き換えて、再構築し、「ただある」物を「意味」を持つ形にする。そうして形になったものは、誰かに届くかもしれないし、届かないかもしれない。
でも、それは「自分の中に生まれた、世界にひとつの意味」になる。

ジャンル: 写真 カテゴリー: オレ流写真論 表現

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